昔のお金の単位一覧|両・分・朱から円・銭・厘まで
時代劇や古文書で「三両二分」といった表記に出会い、金額の見当がつかず戸惑うことがあります。単位の関係を知らないまま換算しようとすると、桁を取り違えてしまいます。そこでこの記事では、昔のお金の単位を江戸時代から明治以降まで順に整理します。両・分・朱から円・銭・厘までの体系と、換算するときの考え方を説明します。
昔のお金の単位は時代ごとに体系が違います
はじめに全体像を示します。日本の通貨単位は、明治を境に大きく組み替えられました。
江戸時代までは、金貨・銀貨・銭貨がそれぞれ別の単位を持っていました。1つの尺度で全部を測る仕組みではありません。
明治になって「円」が導入され、10進法で統一されます。いま私たちが使っている単位は、このときに作られたものです。
| 時代 | 主な単位 | 進法 |
|---|---|---|
| 江戸時代の金貨 | 両・分・朱 | 4進法 |
| 江戸時代の銀貨 | 貫・匁 | 重さで量る |
| 江戸時代の銭貨 | 貫文・文 | 1,000文=1貫文 |
| 明治以降 | 円・銭・厘 | 10進法 |
この表の縦の並びを頭に入れておくと、古文書の金額表記も読み解きやすくなります。順に見ていきます。
なお、江戸時代より前にも貨幣は存在しました。貨幣博物館は、日本で最初につくられた貨幣を富本銭とし、その後708年に和同開珎が発行されたと説明しています。
中世には中国から入ってきた渡来銭も広く流通しました。単位の体系がはっきり整うのは江戸時代以降なので、この記事では江戸期からたどります。
江戸時代の三貨制度|金・銀・銭が並行して流通しました
江戸時代の通貨制度は「三貨制度」と呼ばれます。金貨・銀貨・銭貨の3種類が同時に使われていた仕組みです。
日本銀行金融研究所貨幣博物館は、江戸時代には金貨・銀貨・銭貨の3種類の貨幣が使われていたと説明しています。
3つが併存していたのは、地域ごとに使われ方が違ったためでもあります。造幣局は、金貨が主に江戸で、銀貨が大坂で使われたと説明しています。
金貨と銀貨では、価値の表し方そのものが違いました。金貨は額面が刻まれた「計数貨幣」で、銀貨は重さを量って使う「秤量貨幣」です。
この違いが、単位の体系にそのまま表れています。次の章で1つずつ確認します。
三貨それぞれの単位を確認します
金貨の単位|両・分・朱は4進法です
金貨の基準は小判でした。小判1枚が1両にあたります。
貨幣博物館は、金貨について小判1枚を1両とし、それ以下を4進法の単位で表す貨幣だと説明しています。関係は1両=4分=16朱です。
10進法に慣れていると、ここで違和感を持つはずです。4朱で1分、4分で1両という数え方になります。
造幣局も同じ関係を示しています。1朱の4枚が1分の1枚と同じ価値で、1分の4枚が1両の1枚と同じ価値だという説明です。
銀貨の単位|貫・匁は重さで量ります
銀貨は数えるものではなく、量るものでした。基本単位は匁です。
貨幣博物館は、銀貨を重さで価値を表す貨幣とし、基本単位の1匁を約3.75gと示しています。1匁は10分で、1,000匁が1貫にあたります。
実際の銀貨には丁銀と豆板銀がありました。取引のたびに秤にかけて重さを確かめる必要があったわけです。
もっとも、時代が下ると計数貨幣の銀貨も登場します。造幣局は、一分銀などの額面を持つ銀貨が後に現れたと説明しています。
銭貨の単位|文と貫文
銭貨は最も身近な小額の通貨でした。銅でつくられた穴あき銭です。
貨幣博物館は、銭貨を1枚=1文とする貨幣とし、1,000文が1貫文にあたると説明しています。紐に通してまとめて持ち運ぶ形が一般的でした。
日常の買い物で使われたのは、この銭貨です。両や分といった単位は、庶民の生活からは遠い金額でした。
造幣局は、1両が盗むと死刑になるほどの大金だったと説明しています。単位の大きさを実感するうえで、分かりやすい目安になります。
3つの体系を並べると、次のようになります。
| 種別 | 単位 | 関係 | 価値の表し方 |
|---|---|---|---|
| 金貨 | 両・分・朱 | 1両=4分=16朱 | 額面(計数貨幣) |
| 銀貨 | 貫・匁 | 1匁=10分、1,000匁=1貫 | 重さ(秤量貨幣) |
| 銭貨 | 貫文・文 | 1,000文=1貫文 | 額面(計数貨幣) |
三貨の公定相場と実際の交換比率
体系が3つあるということは、相互の交換が必要だったということです。ここに幕府が関わります。
貨幣博物館によると、三貨間の交換には幕府による公定相場がありました。18世紀の公定相場は金1両=銀60匁=銭4,000文です。
ただし、実際には公定相場のとおりに交換されていたわけではありません。同館は、実際には時価相場で交換されていたと明記しています。
つまり公定相場は目安であって、固定レートではありませんでした。ここは換算を考えるうえで重要な前提になります。
造幣局の資料でも、1両=4分=16朱=4000文という関係が示されています。銭貨との換算は、この4,000文という数字が基準です。
古文書に出てくる金額を今の感覚に置き換えるときは、いつの時代の相場かを確かめてください。同じ「1両」でも、年代によって意味する重みが変わります。
明治の新貨条例|円・銭・厘という10進法へ
制度が切り替わったのは明治4年です。ここで単位の体系が根本から変わります。
貨幣博物館は、明治政府が1871(明治4)年に「新貨条例」を制定し、「円」を基本の貨幣単位としたと説明しています。「円」の1/100を「銭」、「銭」の1/10を「厘」と定めました。
つまり1円=100銭=1,000厘という関係です。4進法から10進法への転換が、このときに起きました。
造幣局は、同じ明治4年に創業式を挙行しています。わが国初の近代的通貨法規である新貨条例が制定されたのも同じ年です。
同局の説明によれば、新貨条例は実質的に金銀複本位制を採用していました。本格的な金本位制に移るのは、明治30年(1897年)の「貨幣法」の制定を待つことになります。
新貨条例にもとづいて、金貨幣5種・銀貨幣4種・銅貨幣4種が製造されました。単位だけでなく、貨幣そのものの規格も一新されています。
現在の貨幣制度も、この流れの延長線上にあります。明治30年の貨幣法は現行の通貨法の附則によって廃止され、貨幣の種類は通貨法第5条で定められる形になりました。
参考:わが国の貨幣|財務省
銭と厘が通貨として使えなくなった時期
円・銭・厘のうち、いま通貨として流通しているのは円だけです。銭と厘には終わりの時期があります。
日本銀行は、1953年(昭和28年)に制定された「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」により、1円未満の紙幣や貨幣の発行が停止されたと説明しています。
参考:1円未満のお金が使えなくなったのはいつからですか?|日本銀行
それ以前に発行されていた1円未満の通貨も、同年12月31日限りで通用力を失いました。当時の物価情勢のもとで、ほとんど使われなくなっていたためです。手元に残っている場合の扱いは、10銭は今の何円にあたるかや一銭はいくらかで整理しています。
貨幣博物館も、1953(昭和28)年に正式に銭が廃止され「円」単位のみが使用されることになったと記しています。
ただし、単位そのものが消えたわけではありません。現行の「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」の第2条第2項は、1円未満の金額の計算単位を銭および厘と定めています。銭は円の100分の1、厘は銭の10分の1という定義です。
参考:通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律|e-Gov 法令検索
利息の計算や外国為替の取引では、いまも銭が使われています。通貨としては使えないが、計算単位としては生きているという状態です。
単位を換算するときの考え方
最後に、換算に取り組むときの姿勢を整理します。ここを誤ると、数字だけが一人歩きします。
第一に、同じ時代のなかでも相場は動いていました。公定相場はあくまで幕府が定めた目安で、実際の交換は時価によっていたためです。
第二に、現在の金額に置き換える方法は1つではありません。貨幣博物館は江戸時代の一両の現在価値について、米価で換算した場合と大工の賃金で換算した場合の両方を示しています。
何を基準にするかで答えが大きく変わるということです。1つの数字を唯一の答えとして扱わないでください。
米で測るか賃金で測るかによって、当時と現在の物価構成の違いが結果に出ます。当時は米が生活費の中心にあり、いまとは支出の内訳がまるで違うためです。
換算値を使うときは、どの基準で出した数字かを必ず添えてください。基準を書かずに金額だけを示すと、読み手に誤解を与えます。
第三に、単位の体系と個々の貨幣の評価は別の話です。単位はあくまで金額を表す仕組みであって、現存する貨幣そのものの扱いとは切り離して考える必要があります。
実物を手元に持っている場合は、まず単位を読み解いて種類を特定するところから始めてください。種類が分かれば、公的機関の資料と照合する道筋も、古銭を換金するときの選択肢も見えてきます。
実物を見て確かめたいときは、日本銀行金融研究所貨幣博物館という選択肢があります。日本銀行も、古代から現代までの紙幣や貨幣を数多く展示している施設として案内しています。
参考:昔のお札や硬貨は、どこで見ることができますか?|日本銀行
同館は日本貨幣史の解説も公開しています。単位の変遷を通史として追いたい場合は、こちらが手がかりになります。
参考:日本貨幣史|貨幣博物館
よくある質問
1両は何分・何朱ですか
1両は4分、16朱にあたります。貨幣博物館は、金貨について小判1枚を1両とし、それ以下を4進法で表すと説明しています。造幣局の資料でも、1朱4枚で1分1枚、1分4枚で1両1枚という同じ関係が示されます。
1両は何文ですか
18世紀の公定相場では、金1両=銀60匁=銭4,000文とされていました。造幣局の資料でも1両=4分=16朱=4000文という関係が示されています。ただし実際の交換は時価相場で行われていた点にご注意ください。
匁はどのくらいの重さですか
貨幣博物館は、銀貨の基本単位である1匁を約3.75gと示しています。1匁は10分にあたり、1,000匁で1貫になります。銀貨は重さで価値を表す秤量貨幣だったため、単位が重さのままになっています。
円という単位はいつから使われていますか
1871(明治4)年の新貨条例からです。同条例で「円」が基本の貨幣単位とされ、円の1/100を銭、銭の1/10を厘と定められました。これによって4進法から10進法への切り替えが行われています。
銭や厘は今も法律に残っていますか
残っています。通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律の第2条第2項に、1円未満の金額の計算単位を銭および厘とする規定があります。ただし1円未満の紙幣や貨幣は1953年12月31日限りで通用力を失っており、支払いには使えません。
まとめ
江戸時代は金貨・銀貨・銭貨が並行して流通していました。単位も三貨で別々です。金貨は両・分・朱、銀貨は貫・匁、銭貨は貫文・文にあたります。三貨の交換には幕府の公定相場があり、実際の取引は時価相場によっていました。明治4年の新貨条例で円・銭・厘の10進法に統一され、1953年には1円未満が通用力を失います。当社では、単位の読み解きから種類の特定までご相談を承っています。